鍼灸院のブログ

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買い物に迷うとき

買い物に迷うとき、どうやって決めればいいかという問題。


例えば食べ物なんですが、家の近くには大型スーパー、個人がやってるスーパー、チェーンでやっている中型スーパー、生協、小売店など、結構いろいろあります。


距離なども含めて、生協に行くことが多い気がします。

まあなんとなくという部分もあるんですが最近気付いたことは、そこで働いている主婦らしき方が帰るときに自分の所で買い物をしていってるんですね。


結局、自社製品を自分で使っているということが、一番の宣伝になるのかなーと思います。


以前の勤め先で前職が大手の食品会社勤めの方がいました。

その方が前職について話していることはほとんどなかったのですが(介護業界への転職だし話題にもならない)、どうも食品添加物に関してあまりいい印象を持っていない感じの話し方をしていました。

もちろん転職ですからいろいろな理由があるとは思いますが、仕事自体にひっかかりがあったのも確かだと思います。

自分で心の底からいいと思っていないと、売り込むことってできないですよね。

(もちろん売り込めるケースは多々ありますが、心の底からという意味で)



自分が今携わっていることでいうと、はりやお灸や整体・マッサージなどの手技療法がありますが、自分が受ける立場として、どれもオススメできるかなーという気がします。


個々の方法には特徴があるので一長一短ですが、本当にすごい人は大体どの方法でも結果が出ます。どの方法でも気持ち良いかどうかは個人差がありますね。


個人的には。


ただ疲れてる時や気分が落ちているときには、いわゆるリラクゼーションマッサージ。


内科的な治療に関わる場合ははりとかお灸。


痛みとか筋肉の異常、整形外科にかかるような範疇のものは整体にかかる気がします。


月に1度のメンテナンスなら、はりきゅう1回とリラクゼーションを1回ずつ選ぶかな。


サービスを受ける側の視点、自分が行きたいと思うか、大事ですねー、あらためて。

貧血は食事で治す、薬で治す

最近聞いた話です。


某患者さんで、難病を中心にかなり多くの病気の経験がおありになる方。

年齢は80代。


血液検査にて、血中のヘモグロビンが低いので入院となりました。

ヘモグロビンは酸素を身体に運ぶために必要な血液中の物質。

服薬で補なうのでなく入院ということは、結構値が低かったのでしょう。

病院で輸血をして、いわゆる正常値には達しないけれどもさしあたり退院。


最近かかりつけの診療所で検査をしたところ、ほぼ正常値に戻ったとのこと。

その間、それに対する処置は特になかった。

患者さんのお嫁さんが昔栄養学を学んでいたとのことで、雑把に栄養素の割合を変えてみたそうです。

栄養(タンパク質)を示す数値(アルブミン)は一定だったので、栄養素は一定でヘモグロビンの割合が上昇したことになります。


これに対して、かかりつけの医師はとても驚いたそうです。

「食事で改善するのか、信じられない」と。


たぶん医療に関わりのない人がこの話を聞いたら、「やっぱり食事は大事なんだねー」くらいの感想だと思います。


何がいいたいかというと、

「専門家ほどいわゆる常識から少しでも外れた考え方をしにくい」

「そしてその常識が自分が若い頃につくられたものである」

ということです。


今回の話で言うと、小さい数値の大小ならば食事でなんとかなるかもしれないけれど、基本的に大きく外れた場合は「薬物療法」以外の手段はこの医師の頭になかったということです。

ちなみにあらゆる業界に言えることですが、全ての医師がそうだという訳でないのはもちろんのこと。


他の例をあげると糖尿病。

今まで看護師の方から、「(ある患者さん)インスリン今月さぼってたけど、血糖値変わらなかった」とか。

「(別の患者さん)お金がなくなってご飯食べてなかったら血糖値下がってたよ」とか。

結構ありうることだと思うのですが、びっくりしてました。


これは、「治らないと言われる病気の人は薬を飲み続けないと身体に異変が起こるから危険」という思い込みによるものだと思います。


そしてその思い込みを作ったのは、長年現場で仕事をしてきて、「処方された薬は毎日飲み続けるのがあたりまえ」という常識が頭にできあがっていて、それを疑うことは少しも考えていないからだと思います。


だから「薬は良くないから食事で治せ」みたいな極論に走るわけではありません。

人体に関することはケースバイケースであり、常識的な視点をふまえつつ、いろいろな可能性を考えなければいけない、ということです。


特に病院に長期で通う人の場合、ダラダラと長く続くなる前に一度考える必要があると思います。


ちなみに、理学療法士(いわゆるリハビリの先生と言われている人)の人は、「運動信仰」がわりと強い気がします(今は分かりませんが)。


鍼灸師の人達だと、「病院では治らない、科学では解明できないことを重視する」方達が結構いる気がします(最近はそうでもないかも)。

徒弟制度と年功序列

ホリエモンこと堀江貴文氏が、「寿司職人が何年も修行するのはバカ」という類のことをツイッターで発言してるとの記事がありました

「何年も修行しないと身につかないのはバカだから」
「そんなことよりセンスが大事」
「下積みをさせるのは、経営者が安く労働させるため」

という趣旨の発言のようです。


堀江氏らしく合理的な表現ですが、すごく納得がいく意見です。


たしかに英会話などの語学を習得するならば、英会話教材を1日1時間毎日聴き続けるよりも、3ヶ月位日本語が話せない場所に短期留学して、日本語も分かるネイティブの先生にマンツーマンレッスンを受けたほうが速く上達するように思います。


スポーツなんかもフォームなんかを見て的確な指示をくれて、うまくなるためにはどうすればいいかが自分でも理解できて、反復練習していく方が独学よりも習得が速いと思います。


スポーツでも料理でも何でもそうですが、「目で見て覚える」というのはある程度習得できているからこそできることであって、何もできない状態の時は人から教わる、そしてそれを即実践、うまくいかない所を指摘を受けるというパターンが最も習得が速いような気がします。

だから勉強が出来ない子には、予備校(見て覚える)でなく家庭教師(マンツーマンで指導)なのです。

とはいえ、人から教わるだけだと、自分で考えたり研究したりしなくなる傾向もあるので、どこかで「目で見て覚える」的な部分も習得する必要はあるでしょう。


すし職人のような徒弟制度に関して考えてみると、これはこれでなかなか合理的な制度ではあります。


昔は読み書きそろばんができるくらいになったら、すぐに職人として奉公先に住み込みで入って弟子入りします。
(農家の家は長男が家と土地を相続するので、末子は家を出るという事情もあると思います。


この時点ではまだ何も知らない子供みたいなものです。
そこで目上の人への接し方。
掃除や洗濯などの身の回りのことをすること。
仕事に関する基礎的なこと、などを生活しながら学んでいきます。
住み込みなので、最低限の衣食住はただ。
給料もほとんどないでしょうから、自分の技術を磨くことに専念できるし、これがある種の教育なわけです。


それから、何年経つと食材を切るだとか、焼き方煮方になるなど年数が経つごとに新しい技術担当となり、いわゆる出世をしていく。
そして10年とか一渡りの年月が経つと独立していく。
そして自分の下に同じような弟子を持っていく。


弟子は安く働かせるとは言っても、将来的には自分も同じようにしていくのでシステムとしては合理的です。
サラリーマンの年功序列なんかも、やってることは全く違いますが、結構これに近い感じがします。


これらのシステムが崩れたのは、あらゆる情報が広くやり取りできるようになったからだと思います(出版・テレビなどのメディア→インターネット)。
徒弟制で教えている内容を講習会と称して、お金をだして買えるようにもなりました(皆がやるようになると、質の部分でもピンきりですが)。


職人的な仕事が一般的になると、勤め人から個人業という流れも進むかもしれません。
徒弟制度と年功序列、10年後にはどのくらいの比率になるのでしょうか。

プラセボ効果はインチキか

プラセボ効果ってありますよね。


たとえば、「かぜ薬」とラベルの貼られた水だけが入った小瓶があって、これを1日2回食後に飲めば3日で治りますよ、と言われて、その通りにしたら風邪が治ったみたいな。


これに関しては、かぜはほっとけばそのうち治るみたいな反論もあります。


賛否あると思いますが。
個人的には「治る」という結果が出ていればオッケーかなと思います。


「病は気から」という言葉から分かるように、気の持ちようによって症状が改善しているのかもしれません。
だとすると、「気(気持ち?)」を変化させた時点で、その飲み薬は効果があったともいえます。
飲み薬は、身体にとっては「異物」であるので、ただの水で効果が出ればそれに越したことはないと思います。


じゃあほっとけばいいんじゃないという話もあるかもしれません。
でも、たとえば「何もしないで」寝て、次の日に朝目が覚めて、何にも変わってないと感じたら(実際身体の中で変化があったとしても)、すごい不安になると思います。


この水の入った「かぜ薬」と書かれた小瓶のものを飲んでれば、まだ3日経ってないからからだな、と思えて3日間は頑張れるかもしれません。


この「プラセボ効果」みたいなものを治療だったり、人に指導をする場合だったり、そういう時に意図的に入れられるという方はなかなか優秀だと思います。


東日本大震災の際も、自分の好きなジャニーズのタレントが来て、元気が出て、身体のダルサが治ったなんて話も聞きます。


プラセボ効果」みたいなものも使いような訳ですね。


ただ「プラセボ効果」には結構注意しなければいけない所もあって。
本人が意識して使ってるか、そうでないかも結構大きい所があります。


人は誰でも「ちょっと不思議なもの」に関して惹かれる傾向があって、自分が理解できないものに対して「奇跡的」と過大評価する傾向があるからです。


私は昔御茶ノ水駅を使っていたことがあって、駅前でよく「奇跡の治療」的なものを宣伝している人によく声をかけられていました。
頭に手を載せられた、すごいあったかい感じがして、動かなかった手が動くようになった、みたいな。
キリスト様か北斗の拳のトキみたいな感じですね(笑)


これはこれでいいと思うのですが、その後が問題で。
それがどこかしらの宗教法人の団体だったと思うのですが。
その宗教の信者になる。これもオッケー。
その後に効果が持続されるためには、毎月お布施が必要みたいな話になるとアウト。


この時にこれは「プラセボ効果」という一面もあるかもしれないと考えることが必要な訳です。
要するに、効果が絶対的だと思い込まないことが大切だと思うのです。


これに対して科学の世界では実験をする訳です。

その宗教団体と全く関係ない人を集めて、無作為に2つの集団に分けて、「手を頭にかざされたときと」、「そうでないとき」で効果があるかないかを統計的に処理するわけです。
実際はもっと厳密に行うので、こんなに単純ではないのですが、図式としてはそういう感じです。


ただ、この科学の世界を絶対的と考えるのも危険で、そうでないものの存在を全否定してしまうのもどうかと思います。


なぜならば、人の「心理」であるとか「脳の仕組み」みたいなものは解明されていないので、全部機械的には処理できないからです。


このプラセボ的な部分と科学的な部分をバランスよく考えることが大切だと思います。
「脳」とか「心理的なもの」に関する研究が進んでくればもっといろいろ分かるかもしれませんね。

くせになるもの、やめられないもの

前にも別の所で書いたことがあるのですが、

常習性というのは、自分の中でひとつのテーマとなってます。


一番悪いものとして取り上げられるのは、「麻薬」とかの類ですが。

常習性=なんとなく手を出してしまう。

さらに、それがなくては生活できない。

ある意味”悪いくせ”になってしまう。

こういうものは全て、これに当てはまると思います。


口の中に入れるものだと。

たばこやお酒。

そして、最近言われる砂糖。


なんでも、過ぎるほど摂ってしまうのは良くないことだと思いますが、

常習性があるものは止められない所が厄介だと思います。


酒だってそこそこで抑えられれば薬となるし。

たばこだって週に数本吸うくらいなら害にならないと思います。


糖分のとり過ぎが糖尿病になるとは言っても、

糖尿病になってない多くの人がいる以上、

一口に悪い物とは言えない訳です。

(砂糖が貴重品だった時代は薬と言われていた時代もあるらしいし)


食べ物を一例としてあげると、

常習性があるものは、

次へ次へとどんどん欲しくなってしまうという特徴があると思います。


肉、魚、卵、豆腐などのタンパク質や野菜。

好きな食べ物であることは多いと思いますが、

すぐにまた食べたい、どんどん食べたいという意見は少ないと思います。


お菓子たべすぎる、ご飯食べ過ぎる、酒飲みすぎる、麺大盛りにするなどあっても、

肉、魚、豆腐、卵、野菜で食べ過ぎたというケースは見られません。


この辺りが常習性に対する鍵になると思います。


私がたばこを止めた経緯から思うことは、

常習性があるものは、一定期間やめてしまうと割りとコントロールがつく気がします。


ただ一部ではアル中になったり、砂糖中毒になったり、一生止めるくらいのレベルでの断ち切りが必要なケースも有ると思いますが。


食べ物で当てはまるこれらのケースを、他のものにも当てはめていくと、いろいろ解決方法が得られるかも。


ただ、常習性の背後には「ストレス」というものがあると思うので、結局このあたりと向き合うことが必要とは思いますが。

納豆ダイエットで納豆売り切れ

一昔前にありましたね。

確か日曜の夜9時からやってた情報番組。

ダイエットじゃなかったかもしれませんが、

翌日のスーパーで納豆売り切れみたいな。


こういうのを聞くと、「安易だ」とすぐ批判する人もいますが、

僕は一種の「お祭り」みたいなものかなと捉えています。


情報が多くなった現代では、こういう「祭り」が多くなってるから、

あちらこちらでボコボコブームが起こっているのでしょう。

もちろん商売だからというのもありますが。


情報が多いというのは、本当に思うことで。

こと健康にかんしても。

食べ物一つとっても何がいい、何が悪いというところがあります。


私も18〜19才くらいの頃から、頭から物事を考えるようになったので、

情報を集めるために、本を読んだりとか結構好きでした。


インターネットが普及されてから、

パソコンに頻繁にアクセスするようになり、

情報を得るのは楽しいのですが、

ちょっと疲れた感があります。


本来の主目的である、

”自分が必要としていることを調べる”

という事以外は、できるだけ離れるようにしています。


まあテレビを見るのとかと同じで「なんとなく」とかで情報を集めていると、

多すぎて訳が分からなくなってしまうのですね。


さて、情報が多すぎての話に戻りますと。

どう対処するかというと。

「実際に体験して感じる」

これに尽きるかと思います。


たとえば、冒頭の納豆に関して言えば、

2週間くらい納豆を食べ続けるとか。

それで、ヘルスメーターとか数値化できるものを使って測定。

あとは自分の「感じ」をとことん感じてみます。

”納豆はイソフラボンが豊富だから〜〜”みたいね先行情報にごまかされないようにする。


自分の感度を信じるわけですね。プラスデータ。

それで自分に合ってるかを確かめる訳です。


昨日はうなぎをごちそうになったんですが、

その場にいた人2人が「うなぎが食べられない」けど、

そこのうなぎは食べられたそうです。


先行情報にごまかされず、その都度自分の「感覚」を大事にするわけですね。

私は最近肉を食べることが多くなりましたが、

肉を食べると、なんか身体の内側から力が湧いてくるような気がします。

でもこれはそうでない人もいるかもしれません。


とりとめもない話でしたが、

つぶやきブログなので、これでいいかなと思います。

思いついたときに書いてみる、これだけです。

ダイエットってなぜ失敗するのか


6月2日から食べたものと体重と体脂肪率を測って記録し始めて、ざっくり2週間位経ちました。


肉、卵、チーズを主体として、そこに野菜やたまーに炭水化物と糖分(ほとんどもらいもの)、あとコーヒーとお茶と晩酌くらい。


まだお腹が空いた感触が気になりますが、以前より食べたいという気持ちは抑えられてきました。
体重は2〜3kg減少という所でしょう。

ストレスがたまらない程度に。
空腹感というのはなくならないらしいですが、次第にこの状態に慣れてくるようです。
満腹に慣れたクセを脳から締め出すまででしょうね。


さて、ダイエットに失敗する理由。

理由は簡単で、「食べてしまうから」
何を食べるとか、量とか、食べる時間とかはこの際置いておいて。


ではなぜ「たべてしまう」のかというと、私が考えるに、

1.昔から過食、一気食い、早食い、満腹食い、大量食いの習慣があって、それが今も癖としてしみついている

2.いわゆるストレス食い(特に甘いもの、炭水化物が恋しくなる)

3.他に特にすることがない。することはあるけど手につかず、食べてしまう。

4.なんとなく


私は全てに当てはまってました(笑)

というより私の意見なので、他にもいろいろあるでしょうね。さらに細かく見れば。


1は運動をやっていたり、男性によくありそうな気がします。

そして年をとって、代謝が落ちて、活動量が減って、体重だけが増えていくみたいな。


2は女性に多いのではないかと。

ストレス解消法は運動とかDVDとか趣味とか、いくらでもあると思うのですが、てっとり早いのは買い食い。


3は昔生活保護の人を見ていてそう思いました。

やることないと、食べる、飲む、吸う(テレビ見る)の3本柱です。


4のなんとなく。
うーん、分からないけど、なんとなくなんですね。


食事のコントロールは健康だけでなく、時間の管理などにも役に立つかなと。

私は今更ですが、食事のコントロール頑張り始めました。
(とはいってもいくらか適当に)


私が60過ぎで病気の人とか、40代の人とか見てきて、

中年に入ってからの健康管理が、

老後の身体状態を分ける気がします。