鍼灸院のブログ

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プラセボ効果はインチキか

プラセボ効果ってありますよね。


たとえば、「かぜ薬」とラベルの貼られた水だけが入った小瓶があって、これを1日2回食後に飲めば3日で治りますよ、と言われて、その通りにしたら風邪が治ったみたいな。


これに関しては、かぜはほっとけばそのうち治るみたいな反論もあります。


賛否あると思いますが。
個人的には「治る」という結果が出ていればオッケーかなと思います。


「病は気から」という言葉から分かるように、気の持ちようによって症状が改善しているのかもしれません。
だとすると、「気(気持ち?)」を変化させた時点で、その飲み薬は効果があったともいえます。
飲み薬は、身体にとっては「異物」であるので、ただの水で効果が出ればそれに越したことはないと思います。


じゃあほっとけばいいんじゃないという話もあるかもしれません。
でも、たとえば「何もしないで」寝て、次の日に朝目が覚めて、何にも変わってないと感じたら(実際身体の中で変化があったとしても)、すごい不安になると思います。


この水の入った「かぜ薬」と書かれた小瓶のものを飲んでれば、まだ3日経ってないからからだな、と思えて3日間は頑張れるかもしれません。


この「プラセボ効果」みたいなものを治療だったり、人に指導をする場合だったり、そういう時に意図的に入れられるという方はなかなか優秀だと思います。


東日本大震災の際も、自分の好きなジャニーズのタレントが来て、元気が出て、身体のダルサが治ったなんて話も聞きます。


プラセボ効果」みたいなものも使いような訳ですね。


ただ「プラセボ効果」には結構注意しなければいけない所もあって。
本人が意識して使ってるか、そうでないかも結構大きい所があります。


人は誰でも「ちょっと不思議なもの」に関して惹かれる傾向があって、自分が理解できないものに対して「奇跡的」と過大評価する傾向があるからです。


私は昔御茶ノ水駅を使っていたことがあって、駅前でよく「奇跡の治療」的なものを宣伝している人によく声をかけられていました。
頭に手を載せられた、すごいあったかい感じがして、動かなかった手が動くようになった、みたいな。
キリスト様か北斗の拳のトキみたいな感じですね(笑)


これはこれでいいと思うのですが、その後が問題で。
それがどこかしらの宗教法人の団体だったと思うのですが。
その宗教の信者になる。これもオッケー。
その後に効果が持続されるためには、毎月お布施が必要みたいな話になるとアウト。


この時にこれは「プラセボ効果」という一面もあるかもしれないと考えることが必要な訳です。
要するに、効果が絶対的だと思い込まないことが大切だと思うのです。


これに対して科学の世界では実験をする訳です。

その宗教団体と全く関係ない人を集めて、無作為に2つの集団に分けて、「手を頭にかざされたときと」、「そうでないとき」で効果があるかないかを統計的に処理するわけです。
実際はもっと厳密に行うので、こんなに単純ではないのですが、図式としてはそういう感じです。


ただ、この科学の世界を絶対的と考えるのも危険で、そうでないものの存在を全否定してしまうのもどうかと思います。


なぜならば、人の「心理」であるとか「脳の仕組み」みたいなものは解明されていないので、全部機械的には処理できないからです。


このプラセボ的な部分と科学的な部分をバランスよく考えることが大切だと思います。
「脳」とか「心理的なもの」に関する研究が進んでくればもっといろいろ分かるかもしれませんね。