鍼灸院のブログ

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発達障害

クローズアップ現代というNHKの番組で”発達障害”の若者が増えているというトピックスが取り上げられていた。

その1例として上げられた事例。会社の上司が「分からないことがあったら何でも聞いてくれ」と新入社員に言う。新入社員はことあるごとに上司に聞く。最初はいいが何回も聞かれるうちに上司は、何度もきくな、空気を読め、と言う。

別の1例。ある仕事を渡し、「適当にやっておいてくれ」と上司が言う。それに対し、言葉通りにゆっくり仕事をして上司に怒られる新入社員。

これらを発達障害と捉えているようである。
しかもこれに対し精神科を受診し、薬を処方される。「発達障害」と診断され、自分の性格がおかしいのではなかったとホッとする本人。

うーん、と考えてしまう。
これを障害と呼ぶのであろうか。

上記のように空気を読めないのは、単に甘やかされて育っていたからではないかと思う。
社会に出るまでに、こういう空気を読むような人間関係を作るような状況が作れていなかったからだと思う。
もう少しいえば、こういうことで悩む人は昔からもおそらくいたであろうが、その割合が高くなっていると言うことではないだろうか。
(こういうのが苦手なのにサラリーマンになって、身体を壊していた人など今までも多くいたはずである)。

コミュニケーション障害という言葉もさかんに番組で使われているが、これは若者だけの問題なのだろうか。
仕事柄高齢の方と接する機会が多いが、高齢者でも(特に男性)集団の中にいて、一言も言葉を発しない、ずっと黙っていていきなり怒り出す、なんて光景がよく見られることは、特に介護業界で仕事をしている方はよくご存知のことだと思う。

コミュニケーション上の問題なんて、多かれ少なかれ誰でも持っていることだと思う。それをこういう形で病気として捉えてしまうのもどうかと思う。

仕事上でつっかえてすぐ辞めてしまうのも、確かに若者が打たれ弱くなっているのもあるかもしれないが、それだけではないかもしれない。
どんなにいやなことがあっても、我慢して働けば出世するとか、給料が上がるとか、上昇的な希望があるからこそ、コミュニケーションの問題があっても頑張れるのではないだろうか(私の父親なんか、無口な人だが、それでも営業職をしていたこともあるのである)。閉塞的な社会だからこそ、つらいことがあっても頑張れないという見方もある。

確かにそれが「病気」と認定されれば、自分のせいでないと逃げられるかもしれないが、それでよいのかな、とも思う。本質的にコミュニケーションが破天荒な人というのも確かにいるけれども、今の若者は必ずしもそうとも言えないような気もする。面倒くさいかもしれないが、そういう若者に対して、じっくり付き合っていくのも今の社会の勤めなのかもしれない(私もすでにおじさんかな)。

それにしても最近専門学校の先生に聞いた話。最近の男の子(20代後半まで)は人前でも平気ですぐ泣くそうである。それに比較して、女の子は人前では泣かない。なぜならば人前で泣くと同性の女の子に「かっこ悪い」と思われるからだそうである。

社会の変化も加速化している。