鍼灸院のブログ

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資格

相変わらず、理屈っぽく、回りくどい話しです。万が一最後まで読む方がいれば、長く分かりにくいので、ご了承ください。

治療業界(広義でいうと、医療・介護業界も含む)では、資格の有無についての話題が出ることがしばしばあります。

資格について考える前に、資格を分類する必要があります。ここでは、知識を元としているものと、技術(手先)を元としているもの、またその両方をかけ合わせたものと分類してみます。

知識の方の例としては、弁護士・司法書士・税理士・公認会計士などのいわゆる士業と呼ばれるものが代表で、技術の方としては大工・園芸・料理人などでしょうか。技術を元としている方は、知識面も必要であったりするので、ここでは日常業務で主として手を使うものと考えます。

知識の方は、資格取得が試験で行われて、試験合格後研修実務となるパターンが多そうです。
技術の方は、学校などもありますが、主として職場で経験を積みながら、仕事を身につけていくというパターンが多そうです。

では治療(医療)業界はというと...
いわゆる無資格と呼ばれる、カイロプラクティック・整体・マッサージ(リラクゼーション・タイ式・エステなど)は、技術を元とする仕事同じように、日常業務で身につけていくものが多い。

そして有資格者(医師・看護師・薬剤師などが代表)は学校に通い、その後国家試験を受けて、病院などで研修(いわゆる実習)を受けて、その後働きながら、仕事を身につけていくパターンが多いです。私の持っている理学療法士という資格もこれに当たります。これらの職種は保険請求ができる職種が多いです(医師以外は、医師の指示の元という条件付です)。

さて、柔道整復士(いわゆる昔の接骨院)、鍼灸師、あん摩・マッサージ・指圧師は有資格(学校に通い、国家試験を受ける)でありながら、仕事の身につけ方は、無資格者と同じように、職場で働きながら身につけて行くもので、いわゆる研修みたいなものは他の有資格職と異なり、制度化されていません。

さて、ここからが難しい所なのですが、人の身体を診る仕事というのは、人体に関する知識(精神面も含め)が豊富であればできるというものではないと思います。
実際に、患者さん(利用者さん)と話したり、触ったりする経験が必要になります。要するに現場で実践した経験がどれだけあるか、という所が重要となります。

ということは、治療(医療)業界の職種というのは、教育パターンでいうと実際の現場に早くから出た方がいいように思えるのです。とはいえ最低限の人体の知識は必要な訳ですが。

医師に関しても、江戸時代は無資格、明治以降も始めは専門学校だったようです。それは技術的な要素が強かったからだと思われます。知識的な要素が強くなったのは(簡単に言うと勉強ができないとなれない)、医療的に必要な知識がどんどん膨れ上がっていき、さらには研究という側面が大きくなったのも要因の一つと思われます。

さて、大きな病気と異なり、日々の不定愁訴(身体の痛み、不眠、倦怠感)などについては、病院に行っても原因が分かりません。なぜならば、目で見えるような明らかな外傷がない、血や尿を取ってもそこに変化はない、ウィルスや病原菌などの微生物もない、身体の内部の写真を撮っても正常な所見と変化がない。
要するに、現時点の科学で分かる範囲内で原因が分からないものだからです。

不定愁訴に共通する要素は、人間の精神的・心理的な面が少なからず関わっていることです。たとえば、1日に同じパソコン作業を同じだけしても、肩の痛みの強さは人によって感じ方が異なると思います。そして人の精神・心理に関しては科学的に完全には解明されてないです。

こういった不定愁訴に関しては、その人の話し(生活環境や生活史)をどれだけ聞けたか、その人の身体をどれだけ触ったか、あたりのことが検査項目よりも重要だったりします。こういう人を全体として診るのは、先程述べた無資格者の方が意外と優れている場合もあるような気がします。それは、数字を見るのでなく、実際に人と接している時間(1人あたりの時間も)が長いからでしょう。
もちろん慢然とルーティーン的に診ていたのでは、判断力も高まらないでしょうが。

さて、今の日本では、戦争に行くことなどありません。交通事故などは日々あるとしても、昔に比べれば外傷の数は少ないでしょう。
日本の水道水は飲めます。日本は公衆衛生が進んでいるので、途上国などで見られる病原菌に感染する機会は日常ではほとんどないでしょう(例外は病院。あたりまえのことながら、病原菌が一番多く存在する場所です)。
俗に”生活習慣病”と言われる、血液の病気、あとは喫煙による呼吸の病気などは、上昇しているかもしれません。

上記の病気は、全て病院で診るものです。生活習慣に関わるものでは病院外でも関わる機関は多くあります(スポーツクラブなど)。

つまり、今の日本では昔と比べて病気の比率は低く(比率が低いのと数が少ないのは異なる)、むしろ日々の生活習慣・環境などが原因で起こる不定愁訴の比率が高くなってきた訳です。
そうすると、知識面に関しては、難しい伝染病の知識や滅多に関わらない特定疾患の知識など、さほど詳しくなくても良く(もちろん知っているに越したことはない)、むしろもっと生活に密接した医学的知識が必要なのかもしれません。

長くなりましたが、今の治療(医療)業界は必ずしも資格を重視しなくても良いような気がします。けれど専門的な職に就く以上、一定水準以上の知識は必要と思われます。大学卒業(検定試験を入れたり)を試験を受ける条件にしてもいいかもしれません。

法曹業会などのように、仕事を区分すると良い気がします。
弁護士にあたるのが総合的な医師(これは権力的には現在でもそうですが)。
機械を扱う機械師(医療機器全般+検査にあたるもの)
実際に人の身体に触ることが多い手技師
薬を扱う薬剤師(今と同じですが、当然処方権は薬剤師にもあるべきです)
医療的な事務を行う人。

このくらい簡単な区分でいいと思います。医療業界は職種が多すぎ。
これらに関して、共通問題・専門問題みたいな感じで法律関係みたいに一発試験を行う。合格した人が病院や施設や街の治療所などでそれぞれ研修みたいな。そんなんでいいのか、と思うかもしれませんが、医療系の学校を卒業したばかりの人って、たぶんその程度ですよ医療に関する経験は。医師でも看護師でも(笑)。

それに臨床をやる人は、学校に長くいるよりも現場に出る時間が多い方がいいと思います。だから無資格でどんどん仕事をしている人に負けてしまったりするんです(勝ち負けの問題ではないですが)。

余談ですが、この間訪問の最中に、年配の医師の方(新しい訪問診療の担当らしい)が見えましたが、いろいろここをこうした方がいいだの、薬をこうしようとか言って、最後に移動の時に使う道具(杖・歩行器など)はこれがいいと勧めた所、患者さんの奥さんが「左手は動かないんですよ」と(その道具は左手が必要だったのです)。奥さんは「全然人を診ていないのよね」とあきれていました。

別にその医師だけを批判するのではないのですが、頭だけで考える時間が長いと、こういう弊害が出てしまうのではないかと思います(たぶん普通に友達みたいな医学的に素人の人が来ても、少し動きを見てれば気付くと思います。左手が動かないと)。

でもこういうシステムにはならないでしょう。
なぜならば、いつか書いたのですが、経済的な要素(誰が得して、誰が損する)があるからです。
学校は安定した収入となります(今は乱立してそうでもないですが)。不安定な職種だと学校職員は比較的安定した就職先となります。
資格試験が多いと、資格を運営する団体が潤います。

結局、世の中は正しい・間違っているよりも、損得で動くことが大半だと思います。
資格をいくつも取った私だからこそ、資格は精神的安定はあるものの、実質的にそれほど意味のあるものではないようにも思えるのです。

あれ、話しそれまくり、長くなりまくりました...