鍼灸院のブログ

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気の進まない職場で働くということ

本日、往診の帰りに本屋へ立ち寄り、
文庫本のコーナーの目立つ所に置いてあった本。

『大往生したけりゃ医療とかかわるな』

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

立ち読みでざっくり読んだ程度なのですが、
著者は内科医であり、老人ホーム付属の診療所の医師であったようです。
http://www.kyoto-np.co.jp/info/culture/tomurai/20110812.html

この本では高齢者は何らかの身体の悪いところがあるのは当たり前であり、
大きな病気になった際に積極的に治療をせず、そのまま亡くなるのが幸せである、
と書いているようです(がんで治療を受けずに亡くなるがよいそうです)。

この内容にも興味があるところなのですが、
冒頭の方で、”老人ホーム(介護施設)で勤める医師”は最下級クラスの扱いである、
という所が特に目を引きました。

確かに世の中の人は一般に、
大学病院の医師が一番知識・技術ともに優れており、
相談するなら、大病院がいい、と考えがちですからね。

著者は老人ホームに長く勤めることで、
高齢者の死を多く見取り、
その経験からいわゆる”自然死”を提唱しているのです。

大学病院の先生の中で、毎日多数の高齢者と接しながら、
その生活の過程を継続して見ている人は皆無に等しいでしょう。
(これは大学病院の先生を否定しているわけでなく、
大学病院の先生は特化した病気の専門家であり、
生活の領域での医療の専門家ではないということです)。

今よりもさらにそういう階級意識が強い時代に、
老人ホームでの勤務をしていた著者は、
医師の世界では変わり者なのでしょう。

しかし結果として終末医療の本当の専門家となる訳です。

昔、一般の方で親の介護を何年にも渡って、病院に泊り込みで行い、
その介護の経過と、病院の職員や他の患者さんとの交流を詳細にメモし、
親が亡くなった後、その経過が出版され、ベストセラーになった、
という話がありました。

この人も、社会との関わりを閉じていたので、
世の中的には”かわいそう”と見られがちですが、
それにより新たな発見があり、それが世間に認められた訳です。

私自身もリハビリ職種として病院に勤めていたときに、
週に一回アルバイトで介護の現場に行っていた時期がありました。

病院は急性期だったので変化が速く、
アルバイトに行ったときに、やっていても変化がないので、
仕事としての面白みはない、と感じた時期もありました。

けれどもそれは違っていて、
変化がないのでなく、
介護の現場に合わせたアプローチをしていないということと、
変化の基準が異なっていたわけです。

たとえば、病気で寝たきりの人が歩けるようになった。
傍から見て、とてもわかりやすい変化です。

腰痛が治って、日常生活を楽に送れるようになった。
これは外から見て分からない変化ですが、
治った本人から見れば大きな変化です。

その価値観の違いと、慢性期や身近な病に接する興味深さに気づき、
今の道に来ることになった訳です。

このように仕事にしても何にしても、
環境が変わったときに、
世間一般の基準や前にいた所の価値観を持ち込んでしまうために、
自分は恵まれていない、などと考えてしまいがちになる訳です。

気の進まない職場で働くことで、
病気になってしまうことは多くあります。
本当に合わない職場の場合は、退職することは大事な選択肢ですが、
自分の価値観の方を変える努力も必要なのかもしれない、
と思ったりしました。

追記
この本の出版社が幻冬舎という所も、
世の中の基準とこの本の価値観の大きな違いを感じさせる所です。