鍼灸院のブログ

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探求すること

小学生の頃の文集で、”将来の夢は”というカテゴリーに”探偵”と書いていました。
ふりかえると、当時シャーロックホームズやルパンや江戸川乱歩が好きだったんです。
(ちなみに中学生になると”将来の夢”は”フリーアルバイター”になってました…)

今でも、謎解きは好きで、小説はあまり読まなくなりましたが、
いわゆる伏線が多くはられた小説は時々読みます。
(代表的なとこだと東野圭吾とか)

さて、昔病院で働き始めた頃、始めは教科書に乗っている評価法や手技・運動療法をなぞるように行っていました。
その後、それでは全ての患者に対応できないので、自分であれこれ考えながら、また時には人のやっていることを盗み見、または教えてもらって、自分なりの”こういうときはこうする”を確立させていきました。
その後は結構ルーティンで、”こうきたらこうする”の繰り返しになっていたような気がします。

さて、現在。フィールドは”明らかに病気な人”から”病気の軽い人”→”病名はないけど明らかな症状がある人”→”症状があるように見えないけど、訴えがある人”とどんどん広がってきています。
昔病気を持っていた人を多く見ていたころは、普通の人の腰痛とか肩の痛みなど、症状があるように思えませんでした。まあ”痛い”と言っても、通常の検査などではひっかからないんですよね。

現在は症状のある人を見るようになってから、細かく見るようになってきました。
腰痛一つとっても、うつぶせで寝れない人、起きる時だけ痛い人、時々ぎっくりになる人など要因は様々。かつ生活習慣まで加味すると一つとして同じ症状の人はいません(睡眠や食事は腰痛に関係ないように見えて、関係があったりします)。

話しを聞きながら、身体を触りながら、情報量が増えれば増えるほど、これはこういう訳でなっているのでは、という仮説もどんどん出来上がって行きます。神の手を持つ人のように、何も聞かず触らず一発で治せればベストですが、私が現在行っているのは仮説を積み上げて、結論を探していく作業です。
これはさながら身体の”探偵”とも言えそうな気がします。

三つ子の魂百まで。結局まわりまわって、子供の頃の夢は現在でも何らかの形で関わっているのだ、とふと思ったりしました。

それにしても、身体の”曖昧な部分”を説明するのは本当に難しいです。
腰が痛いのになぜ足をあたためるのか。もちろん東洋医学の言葉で説明する事は可能ですが、それだけでは一般の人の説明にはなりえないので、もっと深く考える必要がありそうです。

原因などが分かりやすい症状は分かりやすい治療法で対処が可能ですが、分かりにくいものであるほど、治療法にも曖昧な部分がでてくるような気がします。そういう曖昧な部分が多様性を作り出す気がするのです。最後は話し自体も分かりにくくなってしまいました。